屋久島 2001.7.27〜8.3 :4回目の訪問

●2日目です



【7月29日晴:淀川登山口→黒味岳往復→宮之浦岳→永田岳→鹿之沢】
夜中20分間程大雨が降る。車中で良かったと思った。
4時半すぎ・ふと目が覚めると、空は一面の星。あまり多すぎてどれが何の星かさっぱり解らない。
鹿児島の朝は遅いが、5時半頃になると、ぼちぼち縄文杉ツアーの車が来出した。
でも、目当てのタクシーは全然来ない。
定期バスが来たので、結局6時半発で荒川分れまで乗る。登山届を記入。
6時45分・荒川分れ到着。そこで、タクシーを張るが、やっぱり来ない。
淀川小屋で朝食を作ろうと思っていたが、時間がもったいないのでブドウパンを食べる。
7時20分・シビレを切らして、電話でタクシーを呼ぶ。
安房から荒川分れまで、回送30分位との事。
電話を掛け終わった直後、淀川登山口方面から戻りのタクシーが通る。お約束かい!
7時45分・タクシーが迎えに来た。天気が良いからか、運転手も上機嫌だ。
8時10分・淀川登山口へ到着。
昨年GWに来たときは、紀元杉までだった道路の舗装がここまで伸びてて驚くやら呆れ
るやら。登山口の向かいの土手は、バスのUターン用に削り取られている。
車の中での就寝で、足に負担が掛かってたせいか、ちょっとだるい。
8時45分・淀川小屋に到着。
山小屋には誰も居ないが、入口に往復登山者のタオルやシャツが干してある。
淀川の清流で水を補給して、暫くのんびり写真を撮りまくったあと、
9時10分・鉄橋横の急登に取りかかる。
日差しが結構きつく、日陰が有り難い。
10時20分・トーフ岩で有名な高盤岳がちらちら見えはじめる。暑がり体質もあって、もうバテはじめる。
高盤岳展望台を探しながら歩を進めるが、結局見つけきれず、
10時28分・小花之江河に到着。
昨年のGWに見たとき、まだ枯れていた湿原の苔は、今は一面の黄緑。
背景の杉林と青空、ワンポイントの高盤岳。もう、言う事無し!正に自然が造った庭園である。
暫く写真撮影しながら、絶景に見とれていると、一人の初老の男が向こうからやってくる。
良く見ると、昨日のフェリーで横に居た人だった。宮之浦岳日帰りで下山しているところだそうだ。
10時38分・小花之江河を発つ。
ちょっとした登り下りを終えると、10時47分・花之江河に到着。
こちらも、背景の杉林と青空、ワンポイントの黒味岳、そして一面の苔の原の絶景。
苔に混じった、イグサやヤクシマホシクサが多いからなのか、小花之江河と比べるとちょっと緑が濃い。
ちょっと小腹が減ってきたので、ブドウパンを食う。
ちょっと先に到達していた二十歳前後の二人の娘さんに、カメラのシャッターを押してもらう。
彼女らも、本日鹿之沢小屋泊まりの予定だそうだ。大丈夫かなと思いながらも、宜しく挨拶。
11時04分・花之江河を発つ。
11時30分・黒味岳分岐にデポして黒味岳往復に取りかかる。辺りが開けた所で、
見下ろすと花之江河がちょこんと見えて面白い。
11時53分・黒味岳山頂の大岩に取りかかる。屋久島一の展望台と言われるように、
宮之浦岳とその取り巻きの名山のパノラマが素晴らしい。
ちょっと下を見ると、投石平や投石岩屋や投石湿原が小さく並んでいる。
山頂標へは、犬小屋の屋根のような傾斜がついた大岩を渡らねばならず、
下を見下ろすと運が悪ければ死ぬ高さ。
おっかなびっくりだけど、渡ってしまえば何でもなかった。
ここまで辿り着く人が少ないのか、山頂標は海辺の廃材のような荒れ様で、書かれてい
た筈の文字は全て削れていた(何故か、標識てっぺんにはゴルフのティーが2本刺して
あった。何で?)。やっぱりというか、側には、岩登りのリングボルトが打ち付けてあった。
12時30分頃・再び黒味岳分岐に戻る。黒味岳と投石岳の倉部にさしかかると、下山中の団体とすれ違う。
ガイドの腕章をつけた方が、ワシの身なりと額の『山ネット九州ステッカー』を見て、山の玄人と思ってくれた様だ。
ワシが鹿之沢小屋泊まりと知ると、
「さっき、女性の二人連れが鹿之沢に向かっていましたが、
永田岳周辺は遭難事故が起こり易いです。気をつけて見とって下さい。」
と言い残して行った。
13時00分頃・投石湿原に到着。茂みの流水でパスタの昼食を作る。
食事も終わって、出発の支度をしていると、気の良さそうな若者(若者Aとしておこう)が通りすぎる。
この時間になると、上りの登山者が全然居ないのでちょっと安心。聞くと、同じ鹿之沢
小屋泊まり予定で、遅れて2人来ると言う。
13時36分に投石平、13時40分に投石岩屋に到着。
13時50分・投石岳山頂直下を過ぎる。どうも熱中症らしい、息が苦しくなって足がふらつき出したので、手ぶらからダブルスティックに切り換える。
14時30分・翁岳の中腹の水場で給水。この間に、とうとう最後の親子連れ2人に追い越される。
中学生位の息子の方は、気乗りがしなかったようで、ちょっと不機嫌そうに登っている。
15時20分・栗生岳を通過。北東から雲が押し寄せて、時々ガスに包まれる。
15時50分・宮之浦岳山頂に到達。ちょっとガスが残っているが、360°の見晴らしは最高である。
山頂で食事を終えたところらしい若者Aと親子連れは、一緒のパーティーだったようだ。
若者Aが「今まで、みんなで来るのを待ってたんですよ」と冗談をいいながら、
記念撮影のシャッターを押してくれると言うので、
こちらも山頂アイテム:日ノ丸扇子を持ってパシャリ。
暫く談話。若者Aと親子は、粕屋から来たと言う。こちらも用意していた、つぼやん名刺を渡す。
粕屋三人衆は先を行ってしまったが、こちらは熱中症がキツく、10分程休むつもりが結局30分休んでしまった。
食事を作れば良かったが、気力と時間が無くなってきたので、カップスープの粉末をなめて我慢する。
昨年までヤクザザの海原状態だった宮之浦岳の北側は、道の幅だけ刈り取られ、木道が敷かれていた。
道がはっきりしているので、非常に歩きやすい。
遭難防止運動の一環だろうけど、今まで雨が降ると脛位の深さの水溜りが出来てたので、木道大歓迎である。
16時30分・焼野三叉路に到達。目前の永田岳が大迫力で迫ってくる。
ここから永田岳への道は、現在、整備の対象外で、ヤクザサが茂っていたり、深く侵食していたり、非常に歩きにくい。
先に永田岳に取り付いている若者Aも、不安になったのか「つぼや〜ん、鹿之沢小屋はこっちでいいの〜?」と聞いてくる。
17時10分頃やっと永田岳の急登に差し掛かる。
18時08分・ふらふらながら、永田岳山頂直下に到達。登頂は明日の楽しみにとっておいて、そのまま鹿之沢小屋に進路を取る。
目の前は夕焼けが出始め、幻想のようである。
18時40分・右側にウワサに聞いていたローソク岩が見える。
目の前の夕焼けは、雲海の下の方が、キラキラと輝き、
島影のようなものも見えて、何だか分らない状態である。
「屋久島には隣接の島があるそうだが、あんなに近くには無い筈。蜃気楼かな?」と思う。
(翌日、それが東シナ海に浮かぶ口永良部島と知る。写真撮っときゃ良かった!)
19時00分頃、緩やかな坂だったヤクザサ帯は急に切れて、
登山道がストンと落ち込んでいる森の上端に達する。
見ると、Yの字とLの字に結ばれたロープが2段に構える10m程の絶壁になっている。
あとは森の中を、ロープが掛かっていたり、侵食していたりの荒れた道を、
「いい加減に許してくれよ〜」と思いながらジグザクに下る。
19時23分・そろそろランプが欲しい明るさになった頃、鹿之沢小屋に到着。
一緒に泊まるのは、さっきの粕屋三人衆のみ。
やっぱり、登山道のグチを言っている。
花之江河の二人娘は、永田岳を断念して新高塚小屋方面に向かったそうだ。
ちょっとがっかりながら、安心する。
もう何もする気力が無いので、カレーを胃袋に流し込んだ後、20時過ぎに就寝。
皆が寝袋に入って、音を発てなくなると、待ってたように土間でネズミ運動会。
「寝床まで上がってくるなよ〜」と念じながら寝る。
しつけが成ってたようで(笑)、土間以外には行かなかった。



またつづく