屋久島 2001.7.27〜8.3 :4回目の訪問

●6日目と7日目です



【8月2日晴のち曇ときどき雨:ヤクスギランドと太忠岳】
相変わらず7時半頃目を覚まし、だらだらと過ごし、10時にチェックアウト。
最近進出してきたらしい大型スーパーで昼食のパンを買った後、再び安房方面へ。
今日は、ヤクスギランドからサイの角の様に見える、あの太忠岳の天柱石まで行くのだ!
12時00分・ヤクスギランド到着。太忠岳まで片道2時間と言うことで、
「食事無くても大丈夫だな(マラソンなれしてますので、
登り2時間持てば食事無くても平気なのです。真似しないように。)」
と考えて、携帯浄水器とカメラだけ持ってヤクスギランド奥へ。
くぐりツガの足元をくぐり、千年杉は前に見たので寄らずに、荒川橋を渡り小花遊歩道へ。
いままで整備されていた道は、急に山道らしくなり太忠岳遊歩道へ合流する。
12時50分・2000年の世界遺産会議開催の際、一般公募で決まった
「ひげ長老」という気合が抜けるような名の杉の側で給水。
13時00分・平成9年の台風で倒れたという「蛇紋杉」に着く。
幹を折らずに、見事に根元から抜けて、谷に向かって倒れており、屋久杉を根の下から眺めた珍しい光景が拝める。
気の遠くなるような長い時間地面に隠れていた根は、髭状でなく、まるで飴を練り混ぜたような姿だった。
蛇紋杉が立っていた所がヤクスギランドの最高点で、ここから太忠岳方面は、更に深い「天文の森」となる。
天文とは言っても、宇宙とは関係無く、天文年間(1532〜1555年)に伐採されたいたからだそうだ。
暫く進むと、雨が降り出した。
ここから先は細い尾根を暫く通り、広くて急な尾根に出る、とガイド本に載ってあるが、
「広い尾根」がはっきり分らないまま、14時頃・山頂近くの花崗岩基部に着く。
どでかい基部は、くさび型の大岩が刺さっていて、岩の周りには数名が雨を凌げるような岩屋状態になっていた。
14時30分・小さな広場をすぎると、茂みの奥から念願の天柱石が目前に聳え立っていた。
天柱石は高さ50mの米粒を立てたような巨岩で、残念ながら登ることは出来ない
(案の定、壁登りのリングボルトはあった)。
「これがウルトラマンよりデカいんかぁ?」でかいことはでかいが、どう見ても20m〜30m位しか見えない。
でも市販の書物にはどれも「50m位」と書いてあるので、そうなんだろう。
東側は引き出しのような岩棚が迫り出ていてロープを使って登ることができる。
その岩棚に登ってみると、周りの潅木は眼下に納まり、視界が広がってきた。
「これでガスが無ければ最高だったろうなあ。」と悔やみながら、白い空間をカメラに納める。
山頂を包んでいたガスが、急に吹飛ばされて無くなった。突然、天柱石が全貌を見せた。
青い空に黒っぽい巨岩の先端を見上げていると、吸い込まれて行きそうな感じがした。
東側から見る天柱石は、ちょうど「ひよこまんじゅう」を下から眺めたような形をしていて、
霧の雲を切る飛行機の尾翼のようだった。
岩棚から降りて北側に回り込むと、今度は爪が伸びた指を横から見たような形に見える。
天柱石と隣の大岩の隙間には、一品宝珠大権現の祠が祭ってあった。
そのまま天柱石を一周しようと思ったが、北東側は潅木が茂っていて歩き辛そうだったので、
もと来た南東側に引き返す。
時々晴れるガスの中、暫くシャッターチャンスを待っていたが、ある程度以上は見込めそうも無かったので、
15時10分・下山することにする。
尾根を下り、ジェラルミンの小さな梯子を下って暫く行くと、古い桟橋に達する。
かなり古そうだが、土埋木で作っているのか結構丈夫だ。でも、ここで滑って思いっきりこけた。
とっさに左手をついて事無きを得たが、上腕部が痺れて1分位動かせなかった。
まあ、体は頑丈なので、気にせずに先を進む。
15時36分・再び、岩屋のような山頂近くの花崗岩基部に達する。後は、森の中をひたすら下る。
16時25分・蛇紋杉の所に帰る。さっきまで、時々降っていた雨はすっかり上がった。こ
こからは、行きがけ来た尾根コース反対側の母子杉コースを進む。
16時35分・道は突然川のほうへ下り始め、とうとう河原に下りる。岩と倒木を渡る志向のようだ。
日の光によって、川底に波の模様が写し出されキラキラしている。
川の向こう岸にある大きな倒木は、そのまま格子模様の入った階段状に削り取られ、
しかも手すりまで付けられて、山道の一部となっている。
その倒木を渡り、再び山道へ。
16時48分・太忠岳の天柱石にあやかって名付けられたのか、今度は「天柱杉」が現れた。
3分ほど歩くと二本の杉で出来た「母子杉」が。
ただ、母杉の方はもう死んでいるそうだ。
なるほど、子杉をびっしり覆っている樹皮が、母杉の方には付いていない。
すぐ隣には「三根杉」も居る。
16時55分・道の右側に花之江河方面の分岐の階段が現れる。
ここから石塚小屋まで5時間強、花之江河まで6時間は深い森の中を道が続いているそうだ。
後ろ髪を引かれながらも、花之江河方面には曲がらずに、ひたすら進む。
17時05分・「沢津橋」を渡る。河の上流には、丸い岩ばかりの屋久島には珍しい、直方体が集まったような岩棚がある。
17時20分・ヤクスギランドのシンボル「仏陀杉」に到達。ここまで来ればもう一息だ。
17時35分・ヤクスギランド駐車場に帰還。
服を着替えた後、車で一旦淀川登山口まで偵察に行く。
18時10分・淀川登山口に到達。夕暮れの登山口は無人の車達以外誰も居ず、ひっそりとしている。
淀川登山口の見納めをした後は、車で下山。
途中、猿の群が道路の真中でノミ取りをやっていたが、
車を横につけても、全然気にしないのには驚いた。
18時50分・今夜の宿、林芙美子の「浮雲」(「一ヶ月35日雨が降る」の名文句の小説です)
で有名な「屋久島ロイヤルホテル」へ到着。
フロントがいきなり6階という、海辺では珍しい構造の建物であった。



【8月3日雨のち晴:松峯大橋と屋久杉環境文化村センター、帰路】
7時10分・起床すると、外は雨だった。「今日こそは泳ぐぞ」と思うが、
もたもたしてる間に10時を過ぎてあわててチェックアウト。
安房川のV字谷が拝める松峯大橋へ行き、暫しその高度感に酔う。
11時00分・屋久島空港の横を通過しながら、
飲んでどうするとツッコミが入る「無事故・無違反に乾杯!」標識を写真に納める。
11時15分・宮之浦港前の屋久島観光センターで、お土産買い物。多分ここが屋久島いち、品揃えがある店だと思う。
昨年GWは島じゅうの銀行全部休みで、カードが唯一使える土産店って、えらくお世話になった。
11時40分・環境文化村センターを見学。島の立体模型や海や山の写真もあるが、ここは何といっても、
14m×20mの大型スクリーンに70mmフィルムで投影する「屋久島〜森と水のシンフォニー」が見物。
大川の滝や千尋の滝や奥岳の空撮の凄い事!屋久島の四季の映像の綺麗な事!
「本州にしか無い、アイマックスシアターってこんなモノかなー」と思いながら見とれていた。
映画を見た後は、いよいよ屋久島へお別れ。
13時20分・フェリーが宮之浦港を出る。
13時30分・船尾から屋久島の全貌が見えるようになった。甲板の上はにわかカメラマンばかりである。
行きがけはほとんど寝ていたので、帰りは船の設備を堪能する事にする。
まずは、風呂。石鹸シャンプータオルは持参で、入浴料は300円。
通常の船は水が貴重だから、みみっちい風呂かなと思ってたらどっこい、建設されたばかりの
ピカピカの温泉設備を10人サイズにしたようなところだった。でも、湯船はすごいぞ。
何しろお湯が半分も入っていないのに、大波がザブンと自然に溢れてくる。
ただ、湯船の真中に漂ってたら、大波は立たないようだった。
風呂の次は、うどんコーナーで昼食。
店員はおばさんと若い男だった。おばさんの服装が飲食店のそれだが、
男の方は船員兼用されているのか、蝶ネクタイ姿なのが凄く場違いだった(笑)。
結局ザルソバを頼んだが、セイロが薄っぺらい皿状なのが不思議だった。
船内スペース削減のためか?
昼食の後は、売店で屋久島季刊誌「生命の島」と
鹿児島銘菓シロクマを買って、二等客室でまったり。
客室の向かいに座っていた老夫婦は屋久島地元の方で、
屋久島と九州本土の話に花を咲かせる。
17時15分・鹿児島港到着。本場のシロクマにも後ろ髪を引かれたが、
車も混雑しているので、そのまま一路福岡へ。



最後に、今回の屋久島紀行の反省。

【今回達成できた目標】
@黒味岳(屋久島一の展望台)の山頂標を触る。(前回は、高度感に腰が抜けて近付けんかった)
A永田岳(九州bQの標高)の山頂標を触る。( 同上 )
B山小屋残り一軒、鹿之沢小屋の訪問
C太忠岳の山頂の天柱石を触る。
D縦走登山の通過儀礼。

【今回達成できなかった目標】
@モッチョム岳登山。
Aトローキ滝(海に直接落ちている滝)を泳いで激写。
B海水浴。
C石塚集落跡への訪問。
D小杉谷集落跡の撮影追加。
E霧島御一行様との合流。

【新たに発生した課題】
@縄文杉コースの変貌の撮影(道のほとんどが木道化してたけど、写真撮る余裕無かった。)
A新高塚小屋周りの変貌の撮影( 同上 )
B小杉谷集落跡の変貌撮影(廃墟30周年行事で雑木が刈られたり、休憩小屋が建てられてたけど、写真撮る余裕が無かった。)



(このレポートは、2001年9月17日にメーリングリスト「山ネット九州」に投稿したものです。)