本富岳正面登山道
+モッチョム花子






↑正面登山道の案内板:
標高500m付近に、正面登山道だった頃の証が唯一残っていた。
十年もすれば、これも風化してしまうのではないかと思う。
寂しいものよのう。

本富岳正面登山道は廃道である。
元々は原集落の神山小学校(標高40m)を起点に原益救神社を通り抜け、
ひたすら北西に上り詰めて山頂近くで西へ巻き、約3時間で登頂(標高940m)というコースであった。
(原益救神社の上にモッチョム農道が開通した後は、
間の道が果樹園で潰されたようで、モッチョム農道上(標高150m)が起点に変わっている。)


現在の本富岳登山メインルートの起点である千尋滝展望所は
かつて健脚登山者しか行かない場所で、皆だいたい正面登山道を利用していた。
その後、(1980年頃?)千尋滝の展望所まで車で行ける林道が開拓され、タナヨケ歩道が人気上昇。
北のタナヨケ歩道にモッチョム太郎、南の正面登山道にモッチョム花子と
屋久杉のペア命名もされ(1980年代中盤?)登山道の二本化時代が少し続く。
しかし、(1990年代初期?)台風により正面登山道の土が剥がれ落ちて急斜面の岩盤が露わとなり、
人も通れなくなってしまったため廃止、そのまま現在に至る。

そうして、正面登山道とモッチョム花子は伝説となり、2000年代は興味を示す旅行者も少なくなかったが、
2010年を過ぎる頃には全く知らない人も増えてほとんど語られなくなってしまった。
(手持ちの資料では、1995年版の絵地図にモッチョム太郎と花子の両方が載っているが、
1999年版の登山地図にはもう太郎しか居ない。)

以下に示すとおり、2015年から2018年の探索時は登山道が眺望が全く効かない密林と化していたが、
かつて子どもが凧揚げでよく利用していたという地元の方の証言や、モッチョム花子が強風に耐えていたという屋久島町HPの記事、
シャクナゲやモウセンゴケが生えていたという案内板などから、最盛期は木立が低くて明るい登山道だったと思われる。
正面登山道が現役の頃は本富岳がまだローカル中のローカルネタで、資料がほとんど残されていないようだが、
最盛期の写真とか是非拝んでみたい。


登山口


↑登山道入口:標高150m。ヤブ化して、なかなかのカモフラージュ具合で、
まるで廃道探索の適応テスト第1問。
まずこれが分からなければ、この先確実に迷うので入ってはならない。


↑登山道入口、入場直後の眺め: 廃道探索の適応テスト第2問(笑)。
入口付近に一応ピンクテープはあったが、大学の観測装置に誘導されてしまう。
付近一帯は成長した植林地帯で雰囲気を感じとってひたすら上に進むのみ。
登山道に当たると、地面に打ち込んだ測量用や塩ビパイプの杭がそれだと教えてくれる。


↑登山道入口、入場直後の斜面から振り返った眺め:
右に見える白い部分は舗装道路。
入口付近には、この写真の左奥のような石垣のようなものが点在していたが、
炭焼き窯跡でもないし、ケルンのようにも見えるし、大岩が風化して自然に砕けたもののようにも見える。
一体何だろう?



登山道の下域


↑登山道下域下側の一般的な様相:中央に走っているのが登山道。
落ち葉に埋もれて隠れかかった道を気配で感じとって進むべし。
道が合っていれば、時折現れる測量用の杭が答え合わせをしてくれる。


↑標高250m付近の大広場:道中は頭上をみっしり枝葉で覆われた森の中を進むが、
標高250m辺りでポカーンと開いた広場に出る。
ここでちょっと進む方向に迷ってしまうが、写真中央左の杭のような立ち枯れの木が
良い目印になってくれている。:
何だか、大勢でわいわいランチをとってみたいような空間。 


↑登山道下域上側の一般的な様相:
標高250m大広場を抜けると、枯れ沢のような傾斜がややきつい小谷に沿ってひたすら登る。
標高450mぐらいまでは辛うじて生き残った道標テープが現れ出すが、
かなり枝葉に覆われているので、油断するとすぐ道を外れそうになる。


↑突如現れる巨石群。小屋ぐらいの大きさの岩が行く手を遮り、
ルートの再検索にちょっと時間が必要となる。
付近にはプラスチックの案内板の破片や、湯呑のかけらなどもあった。
かつては休憩場所として利用されていたようだ。


↑プラスチックの案内板の破片:上記の岩場に残っていたもの。
シャクナゲについて書かれており、付近の植生の説明をしていたようだ。
ただし、発見現場は大木ばかりの薄暗い森なので、
別の所から運ばれたのか、昔はここ一帯が切り開けた場所だったのかも。


↑プラスチックの案内板の破片2: 登山道の割と下の方で見つけたもの。
近くでヒメコイワカガミとモウセンゴケが生えていたのが推測される。
この付近も、今の乾燥した薄暗い森の中ではなく、
程よい日当たりで水気の多い場所だったようだ。


登山道の中域



↑唯一残っていたモッチョム岳登山案内板:
このページの一番上の写真で示している案内板が残っていた現場。写真中央の木に付いているのがお分かり頂けるだろうか。
あたりはジグザクに続く急坂で、この案内板も胸をつくような段差を乗り越えた先に待ち構えていた。


↑唯一残っていたモッチョム岳登山案内板:
上の写真の案内板のたどり着き、コースの行き先を眺めたところ。
道はここで右に折れて大きく回り込むが、案内版が示す先は
ごちゃごちゃ雑木の生えた岩場で本当にこっちで良いのか不安になった。



↑垣間見えた本富岳山頂: 正面登山道は深い森の覆われて眺望はほとんどなく、
「チョットダケヨ」とチラ見できた貴重な風景。


↑雑木の中に現れたモッチョム花子:
標高500mを越えたあたりからの正面登山道探索は、
道標が皆無と言って良いほど残っておらず、
埋もれ残った微かな道の気配を神経張りつめて探し出す難作業であった。
そんなこんなで標高680m。雑木の向こうにチラチラ姿を見せる巨木。今や伝説となったモッチョム花子であった。
(モッチョム花子の詳細は下記へ)
もうこの辺りになると道の風化がひどくて、登山道をトレースするつもりが新規開拓になりそうだったので、
2018年の探索はここで終了した。うーん、思った以上の難問だ。


登山道の上域
・・・は行ってません



登山道の出口付近


↑正面登山道の出口(推測): 本富岳山頂の最後の取り付き部手前に残されていた
正面登山道出口の案内板。それを信用するとここが出口に当たるのだが、
案内板は固定されていないし、横の密林を覗いて登山道跡らしきものは皆無だった。
案内版がちょっとずれているのか、登山道跡の風化が激しすぎるか・・・。ハテ?


↑正面登山道の出口案内板:
上記写真の案内板アップ。かなり劣化が激しいが、
内容がシンプルなので何が描かれているか分かる人には分かる。


↑正面登山道の出口探索:
案内板があった登山道脇の密林を探索したが、かつて道だった気配は全く読み取れず、30m程進んでみたところで断念。
わずかな成果として小指の先程のピンクテープのカケラを2つ見つけたが(写真の足元のは、その1つ)、
現行の登山道から飛んできたものと言った方が良さそうな代物だった。


モッチョム花子


↑本富岳山頂から見えるモッチョム花子:
実はずっと姿を見せていたモッチョム花子さん。
現場で周りの木よりずば抜けて高いのが確認できたため、GPS座標と照らし合わせたところ、居たー!
今や幻の存在となっているけど、山頂のみならず麓からも見えるところでこっそりアピールし続けていたのだ。
因みに写真の「P」は千尋滝展望所の駐車場。花子さん拡大画像は2011年10月のもの。

←クリックすると
てっぺん近くまでの
写真が見られます。
(てっぺんは森から
はみ出て見えない)
(260kバイト)
↑モッチョム花子: 胸高囲6.3m・樹高19.5m・樹齢は不明。正面登山道の標高680mに居る。
(屋久島町ホームページより。GPSで測ったら670mだったけど、誤差の範疇か。)
命名者はモッチョム太郎と同じく、鹿児島県の福原英明さん。
斜面の上側から眺めたところ。


↑登山道の最短地点から眺めたモッチョム花子:
急坂の小沢に鎮座した大岩を抱く形で成長しており、坂の下側の水の確保が難しかったようで
幹の7〜8割が枯れているようだった。
正面から反対側に突き抜けるように大穴が開いており、
樹木の中心には大人が横になれるほどの大きな空間ができていた。
かつてはここにモッチョム太郎のとお揃いの名札が立てかけていたと思うのだが、
崩れ落ちた木片に埋もれたか、下のスラブに向かって流されしまったようでもある。



↑怪人物との比較写真: 上の写真の手前で構えてみた。
花子さんのだいたいの大きさがお分かり頂けたら幸い。
この場所は、本富岳山頂からの登山者歓声と、麓の犬の声が同時に聞こえる不思議空間だった。



↑斜面の下側から眺めたモッチョム花子:
大岩の上に鎮座しているのが良く分かる。
下の沢に象の鼻のように根を延ばしているが、
常時水の確保ができないようで、こちら側に枯れが目立つ。



↑モッチョム花子から斜面の下側の眺め:
モッチョム花子が生えている小沢はすぐ先でストンと落ちて、すぐ奥に構えているスラブへ真っ逆さまに続いている。
正面登山道が使われなくなったのは、スラブの急斜面に積もっていた土が道ごと剥がれ流されてしまったためだが、
ここもずり落ちそうな気がして、立っているとちょっと怖くなる。


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