標高660m、荒川口から徒歩40分。昭和45年8月に廃村。
大正11年に安房からのトロッコ軌道が敷設されたのを始め、
大正12年に安房官行斫伐所として誕生。
昭和28年に弟分の石塚集落と併せて小杉谷事業所に改称され、
上記の廃村まで森林開発前進基地として活躍していた。
(かの「日本百名山」深田久弥氏も昭和14年、小杉谷斫伐所時代ここに泊まっている。)
小杉谷と石塚の集落には営林署物資部があり、
毎日安房へ往復して人や生活用品を運んでいたが、
小杉谷には小中学校や個人商店や理髪店などもあった。
最盛期の昭和35年は、トロッコ軌道は全長26kmにもなり、
小杉谷は133世帯540人の大集落になった。
小杉谷小中学校は昭和37年に生徒数147人も記録している。
↑小杉谷小中学校校庭:2005年頃まで木が生えておらず、 桜の木もそのままで、当時の面影を十分保っていた。 左側に校舎が建っていた。 |
↑小杉谷小中学校校庭:校庭は現在も木が生えていず、 校庭には水脈が横切っており、 怪獣の足跡のような陥没が沢山出来ている。 |
↑小杉谷小中学校校舎跡:どうも調理場らしい。 奥がカマドで、右が流し場 |
↑小杉谷小中学校校庭:校舎跡から見下ろしたところ。 奥に見えるのは、ヤクシマシャクナゲの栽培地の囲い。 |
↑小杉谷小中学校校舎跡:奥の階段は、民家跡へ続く。 左奥にが清水が流れていて、手前の土管を通って、 一気に安房川へ注がれる。 |
↑小杉谷小中学校校庭:左の写真の奥側からの眺め 右側にに清水の一部が見える。 かなり大きな音を立てていた。 |
↑小杉谷小中学校校庭: 校庭の片隅に積んであった屋根瓦 境目が分らないほど苔むしていた。 |
↑小杉谷集落への小橋: 小杉谷小・中学校の校庭の奥にあった小橋。 奥の集落へ続いているが、崩れ落ちて渡れなくなっていた。 |
↑小杉谷休憩舎:2000年10月に、 閉山30周年を記念して建てられた。 縄文杉コースのいい休憩ポイント。 屋根は屋久島らしく、平木を貼ってある。 奥の壁に見えるのは、小杉谷集落の記録パネル。 内容は年表と屋久杉事業と小杉谷小・中学校校歌。 |
↑小杉谷休憩舎の中:ベンチとテーブルもある。 天井から下がっているのはスピーカーで、パネル横の スイッチを押すと、小杉谷小・中学校校歌が流れた。 校歌は3番まであるが、3番の頭で「もう、いいやろ」と 言わんばかりにブチッと切れた(笑)。 (2012年現在、装置の撤去を確認) |
↑小杉谷休憩舎の中:入り口側の眺め。 奥にトロッコ軌道が見える。 ここでくつろぎながら、トロッコ列車が通りすぎるのを 一度は見てみたい。 |
石塚集落跡への分岐口
↑トロッコ分岐点:小杉谷集落跡は右へ曲がる。
手前が荒川口。奥へ進むと石塚集落跡。
↑石塚への分岐:上記写真の安房川挟んで手前、 石塚へのトロッコ軌道がある。 昔はこの石塚集落へのトロッコ軌道を経て 花之江河に抜ける登山道があった。 |
↑山之神神社(大山神社):左写真の鳥居を正面から見た ところ。ここ石段を登ったところに、小さいが立派な神社が ある。猟師が狩猟の願い事をしたり、山仕事の安全を 祈願した。現在でもしっかり管理されている。 |
↑山之神神社:簡素だがなかなか綺麗な社。高さ3m程。 元々はウイルソン株内で祀られていたが、山の事故が 増えた折に、お参りし易いようここへ移された。 |
↑山之神神社の石段:上から見下ろしたところ。 胸を突くように急な階段。 でも、集落の子供はうさぎ跳びで登ったとか。 |
小杉谷共生の森林 自然観察歩道 |