旧石塚歩道(上域)
〔歩道跡〕




↑旧石塚歩道、トロッコ軌道外れの平均的な光景 (荒川登山口から5時間15分):
伐採跡地以外はだいたいこんな感じの、経験を積まないとよく分からない様な道が続く。
色あせて白っぽくなった赤テープや、プレスリーの袖飾りみたくバラバラになったビニールひも、
他にもごらんのような九工大慰霊碑案内札も取り付けられているが、
思い出したようなタイミングでしか登場しないので、道しるべに頼る気で歩くと痛い目にあう。


旧石塚歩道は、標高660mの小杉谷集落分岐に始まり、石塚集落跡を抜け、
標高1580mの花之江川歩道との合流点で終わるが、
このページでは標高1100mのトロッコ軌道終点(廃村前)から上、
トロッコが通らなかった登山道部分について触れる事にする。

昭和50年代まで標高1200m以下は伐採によりはげ山だったらしく
(国土国交省がWeb公開している昭和52年の航空写真でも確認できる)
伐採を逃れた標高1200m以上の森林地帯に入ったところで天皇杉、
ちょっと上がったところで鏡明水、そして苔風呂を通り過ぎて
10km峠で花之江河歩道に合流、というのがコースの概要である。
はげ山部分は現在、小杉にびっしり覆われている。

太田五雄著『屋久島の山岳 近代スポーツ登山65年の歴史と現在』で
「十分注意してかからないと大変な目にあう」と紹介されている。
歩道部分に入って初めはテープの道しるべがしっかり着いているが、
下端のトロッコ軌道終点から20分、上端の10km峠からは15分を過ぎたあたりで
ぱったり途絶えるので、山道慣れしていない人はまず無理であろう。
道中、ボロボロのテープや黄色プレートが登場するが、間隔が空きすぎているため、道を外れていない確認に使える程度である。
地面のしまり具合や擦れ具合、枯れて倒れたのでは無い人為的な倒木、歩きやすく積まれた石、
これらの要素で「かつて、ここを多くの人が歩いた」事をイメージできる人ならば大丈夫、だと思う。


登山地図の一番人気、旺文社「山と高原地図 屋久島」にも「天皇杉」と「鏡明水」が載っているが、
正式に調査をしていないようで、下記の通り実際の位置と全然違うので注意が必要である。(2012年現在)。



石塚トロッコ軌道終点(廃村前)の付近


↑「終点の沢」 (荒川登山口から3時間55分):
トロッコ軌道終点(廃村前)から眺めたところ。
石塚沢や24k沢の渡渉点より更に奥地なのに、何故か遥かに歩きやすい。
昔は丸太橋が架かっていたとか。



↑石塚歩道の階段 (荒川登山口から4時間0分):
トロッコ軌道終点(廃村後)の道と比べると格段に状態が良かった。
ほとんど人は通らないと思うのに何故だろう?



↑石塚歩道 (荒川登山口から4時間0分):
こんな感じの道が途中までは続き、まあ分かり易い。
古い地図をみると、この辺りにもレールが延びていたようだが、
昭和40年代の書物にもそんな記述はなく、それにしては道幅が狭い。
他にも並行に延びている道があるのだろうか?



↑丸太橋 (荒川登山口から4時間0分):
上面は平べったくて歩きやすかった。



↑登山道脇の安房川南沢 (荒川登山口から4時間15分): 
旧石塚歩道の道標テープは絶滅寸前で、青テープが本命のようだが間隔が空き過ぎて途中で見失い、
ピンクテープがあったのでそっちに行って見たら安房川南沢に出てしまった。
他の場所のピンクテープも同じ川に誘導していたので、このエリアのこの色は山仕事用の水汲みルートだろうか?



↑つぼやん道見失い地点 (荒川登山口から4時間15分): 
ここまでは非常に分かり易い道のりだったが、標高1160mで急に道が消えてしまった。
すぐ右には安房川南沢。胸を突くような目の前の急坂には伐採の跡があるものの、道らしき痕跡は無い。
道標があるポイントまで何度も戻ってみて登山道を探してみたが、そんなしているうちに時間切れで一旦断念した。
(後日、上から攻めてみたところ、この写真の中央が登山道だった事が判明)。


↑安房川南沢との最接近点 (荒川登山口から4時間25分):
トロッコ軌道終点から登山道を上がっていくと、
右側を並行して流れている南沢がどんどん近づいてきて、
ぴったり登山道とくっ付くポイントがある。
ここを過ぎると南沢は並行しながらもまたじわじわ離れていった。 


↑遭難碑近くの渡渉点 (荒川登山口から4時間30分):
沢を渡って振り返ったところ。左奥が登山道。
ここを境に登山道上側は、伐採で更地になっていたところに自然に生えた杉が乱立して、
一番道が分かりにいポイントになっている。
昭和40年代の伐採地中心なので何かしら呼び方があったと思うが、名称不明。
この沢の上流側にちょっと行ってみると、茂みの向こうに5〜10m程の滝が見えた。 


九工大W.V.遭難碑


↑九州工業大学遭難碑 (荒川登山口から4時間55分)
急斜面の上の大きな屋久杉切り株前に建っていた。
大理石のような素材で、今は角が少し欠けている程度のダメージのみ、
左脇にはラベルが無くなったものの中身が入ったままのウイスキー瓶が綺麗に残っていて、
40年以上の年月を感じさせない。。
二等辺三角柱で、正面に大きく「遭難碑」、
向かって右側に「昭和四十四年八月 建之九工大ワンダーフォーゲル部」、
向かって左側に「昭和四十三年三月十六日亡 福原幸二君十八歳」
「昭和四十三年三月十七日亡 岡野俊幸君十八歳」と彫られている。
当時は大伐採地帯の外周辺りで、踏み跡を辿れば迷うことは無かったそうだが、
雪で覆い尽くされて再び森に入る道を見つけることが出来ず
切り株の穴で休んでいる内に力尽きたのだろう。合掌。

と、思ったら、実際は 花之江川 ― 翁岳 間の登山道上で亡くなられていたのであった。
前日に小杉谷から花之江河に登り、当日は宮之浦岳を越えて鹿之沢小屋を目指したものの、
小屋が永田岳手前にあるものの勘違いし、もちろん探しても見つからなかったため引き返そうとしたところ、
寒さと疲労のために花之江河まで2kmおよび200mの地点で上記2名が力尽きた、という事故だった。改めて合掌。
慰霊碑を建てる許可を申し出たところ、国立公園の管理都合にてこの場所を指定されたという。
当時は大伐採で荒れていた場所だったので、ここなら差障りが無かったからだろう。
(九工大OBの香川様と、遭難当時の新聞記事からの情報)



↑九州工業大学遭難碑からの眺め:
当時は辺り一面を遠くまで見下ろせる丘の上だったが、
新たに芽生えた杉が茂りに茂って今はご覧のありさまに。


↑旧安房歩道のプレート:
遭難碑前の坂を下ったところで落ち葉に埋まっていた。
この道は旧石塚歩道だが旧安房歩道とも呼ばれている。
また石塚山岳参り道も旧石塚歩道と呼ばれ、
花之江河歩道も旧安房歩道と呼ばれている。
ややこしい。


天皇杉



↑天皇杉 (荒川登山口から5時間0分): 旧石塚歩道の標高1231mに居る。
直径2m程度と、屋久島ではありふれたサイズの杉で、屋久杉目録からは完全に無視される存在。
昔は大伐採地帯を抜けて再び森に入ったところに初めて出会う大杉で、
伐採を辛うじて逃れた屋久杉のシンボルとして登山者から崇められたようだ。
旺文社の山と高原地図では、現在2012年の時点でずっと
南西に700m程ずれた標高1400m付近に記され続けており、
これを信じて探しに行ったところ、迷走して泣く泣く敗退した人は少なくないようだ。
なお、小杉谷小中学校の先生だった遠藤史朗氏が昭和42年に出版した
『海上アルプス 屋久島連峰』(現在は廃刊)では「これを”天杉”と名づけよう」とのくだりがある。
先生の命名が、文字が変わって伝わり定着したのかもしれない。
翌年に出版された赤星昌著『屋久島 美しい豊かな自然』(現在は廃刊)では、
既に”天皇杉”と呼ばれているのが興味深い。



↑天皇杉:別アングルで撮影。
辺りは雑木が茂りかけていて撮影しづらい。
(手前の怪人物は、吊られているのではなく、
鶴の構えで威嚇しているらしい。)



鏡明水



↑鏡明水 (荒川登山口から5時間10分): 旧石塚歩道の標高1327m。
屋久島の登山道では珍しい湧水の水場。コアな登山家の間では人気らしい。
名前から「沢の中に大きな鏡のような水溜りがあるんだろうなー」と勝手な想像を膨らませていくと
こじんまりとした水場で拍子抜けした。何となく、大分県九重連山の『かくし水』を彷彿させる。
旺文社の山と高原地図では、現在2012年の時点でずっと
南西に650m程ずれた標高1450m前後の位置に記され続けており、
別の沢をこれだと勘違いした人は少なくないと思う。
少々くどく取り付けられている黄色いプレートは幅20cm程度。

↑鏡明水の噴出し口: 霧島神宮の手水舎は、水の噴出し口が
竜の彫刻で全体的に苔むしており、何かそれに似ていると思うことしきり。
手荒れの薬を塗っていた上、コップ等も持って居なかったため、
直接口を付けてガブ飲みさせて貰ったが、
龍神様の下唇はふわふわのコケに覆われていて気持ちよかったです(はあと)。
↑参考資料:
鹿児島県・霧島神宮の手水舎





↑鏡明水の下流: 噴出し口からこんこんと湧いているものの、
水量と勢いが足りず川になりきっていない。
落ち葉に隠れながら写真左の急斜面を下って写真左上の隣の沢に合流していた。
画面に入り切れていないが、噴出し口は写真のすぐ右下。



九工大ビヴァーク地


↑ビヴァーク地 (荒川登山口から5時間25分): 
4、5人が体操座りで雨の直撃を避けられる程度の小さな岩屋。
九工大のプレートがわざわざ取り付けられているが
夏合宿の定番野営ポイントなのだろうか。


フタツバシ沢


↑フタツバシ沢 (荒川登山口から5時間40分):
渡渉点の中央には沢を分断するような大岩(写真左の岩)が鎮座しているが、
両岸からこの岩に橋をかけていたのが名前の由来だろうか?
下りに使うと、先の道が大岩に隠されて見えないので
「これは沢に沿って上か下に進むべきなのか?」としばらく迷ってしまう。 


苔風呂



↑苔風呂 (荒川登山口から6時間0分):
くるぶしまでしか浸からない水たまり。
遠藤史朗著『海上アルプス 屋久島連峰』では
「水ゴケの上を薄く流れ、流下したところに小さな水たまりがある」、
赤星昌著『屋久島 美しい豊かな自然』では
「コケにおおわれた小さな淀」と表現されており、
昔は案内板だか地図だかに「名所コケ風呂」と書かれていたらしい。
名所とは呼び難い気がする半涸れの沢で風呂とは呼び難いが、
他に該当するものが無いので、たぶんこれであろう。
 


↑正面から見た苔風呂:
岩の上の奥に沢が続いており、水はそこから流れてきている。
上に鎮座しているでっかい岩はただの飾り。


↑横から見た苔風呂:
屋久島では変哲もない通り道に見える。
昔は水量も多くて滝壺みたいなものがあったのだろうか。




清澄小滝


↑清澄小滝 または 小滝沢 (荒川登山口から6時間10分):
遠藤史朗著『海上アルプス 屋久島連峰』で「”清澄小滝”とでもよんでおこう」と記述があるが
こちらはあまり知れ渡っていないようだ。
赤星昌氏が昭和43年の出版した『屋久島 美しい豊かな自然』(現在は廃刊)では
「小滝沢」とだけ紹介されている。
滝の一番手前の段は1.5m程度で、全体は10m程の小さな滝だが中々の美形。
滝壺にあたる水たまりは、小さな露天風呂くらいの広さ。
旺文社の地図だと、鏡明水の誤った座標の近くにあるのでそれと間違えられやすい。



↑正面から眺めた清澄小滝:
正面右奥から流れ込んだ水が
樋状の道を通って滝となっている。



↑すっかり色落ちした標識板 (荒川登山口から6時間15分):
遠藤史朗著『海上アルプス 屋久島連峰』によると昭和40年代、
清澄小滝から5分程上の分岐点に
「高山植物を愛しましょう」と書いた板があったそうだが、
位置的に同じなのでこれがそうかもしれない。
写真の左側がプレートの上辺にあたり、
設置した団体名の頭文字であろうが、プレート下辺に
辛うじて「日本」という文字だけ読み取ることができた。
後ろの支柱のような木材とは完全に分離している。



旧石塚歩道の終点(10km峠)


↑10km峠 (荒川登山口から6時間35分):
旧石塚歩道の終点で、新安房歩道との合流地点。
中央右の黄色いプレートには
「この道は、九工大W.V.部の遭難碑へ
通じています小杉谷村跡への道は
現在、廃道となっております。
一九八一年八月 九工大W.V.部」
と書かてあったが、30年経った今は文字が剥がれてほとんど読めなくなっている。
写真中央が旧石塚歩道だが、ロープが張ってるので間違って入り込む事は無い。
右の道の徒歩5分先は石塚小屋で、
小屋に人がいるときはワイワイキャッキャッ声が聞こえる。
写真手前側に続く道を50分程歩くと花之江河に着く。




旧石塚歩道の廃道っぷり


↑遭難碑近くの旧石塚歩道:
ここは奥にまっすぐ進むのが正しい道だったと思う。たぶん。



↑遭難碑近くの旧石塚歩道:
昭和50年位は伐採ではげ山だったが、今はご覧のとおり
沢の音は聞こえるので方角を誤ることは無いが、
道の名残はフカフカの杉葉に埋められており、
ルートを見失いやすい、というか何度か見失った。


↑遭難碑近くの旧石塚歩道:
遭難碑に近づくにつれ九工大の道しるべプレートが多くなって助かるが、
それでも上記写真中央に見られるように、チラリズムで済まされて見落としがちになる。



↑旧石塚歩道の一般的な登山道(下半分):
トロッコ軌道終点までの下半分はだいたいこんな感じの道。
道しるべテープ等は滅多に無いので、
地面の硬さや雰囲気から、人の通った道であることを意識して進む。


↑石積みの階段:
画面中央左に縦に走る石組みが、それ。
道しるべがほとんど無いので、こんなところも登山道を認識するポイント。
自然に組み上がったのではない、という洞察力が必要。



↑道路脇の丸太:
道と並行に置かれた丸太が度々現れるので、
これも登山道を認識する重要なポイント。
自然に倒れた木ではない、という洞察力が必要。:



↑旧石塚歩道の一般的な登山道(上半分):
10km峠までの上半分はだいたいこんな感じの道。



↑清澄小滝近くの旧石塚歩道:
清澄小滝付近には、両脇から攻めて来た低木に完全に覆われた道が度々登場する。
押し広げて地面を見ると、細い道がちゃんと隠されていたのが分かるが、
歩く先にこんなのが現れると面喰ってしまう。



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