旧 石塚山登山道






↑旧石塚山登山道:上域の様子。
中央に朽ちて苔生した橋があるのをおわかり頂けるだろうか。

旧石塚山登山道は廃道である。
旧石塚歩道(旧安房歩道)が現役だった1970年頃まで石塚山へ登るための主要道であり、
石塚集落跡の先、標高970mの24km沢橋跡を起点に標高1400mの山頂直下の祠まで続く。
(その先現役の石塚山登山道に合流して1589mの山頂に達する。)
荒川登山口から旧石塚山登山口まで2時間半、旧石塚山登山口から3時間
(下りで走ってみたら1時間半)で石塚山山頂、
往復10時間コースといったところか。

1968年刊『屋久島 美しい豊かな自然』(赤星昌著)では「山頂まで朱で矢印を書いた道標がある」と
書かれているが、廃道になって半世紀近く経った2014年時点ではそんな面影は全く残って無い無い。
入口付近には新しいピンクテープが付けられていたが、それも入口付近だけで
自分のカンと、色あせて樹木の一部になったボロボロの道標テープの生き残りが頼りである。
(旧石塚歩道(旧安房歩道)の廃道踏破も達成したワシ。あれで鍛えられたから大丈夫だろうと
自信半分不安半分で登ってみたら更に輪をかけた廃道っぷりで、ゴールを目前に道を見失ってしまった。
その後3回トライして何とか踏破はできた。
とある方からも、ベテランガイド同伴で登ってみたGPSデータを貰った事があるが、
こちらも登りは24km沢を離れてから道を見失い、力技で登頂していた様子が記録されていた。ナメてかかれない。)

現在は昔のしきたりを再現した岳参りなどのイベントで、思い出したように利用されているようである。
上記の本では、太忠岳と石塚山を結ぶ縦走路が廃道で通れない旨書かれているが、
太忠岳がヤクスギランドから手軽に登れるようになった現在、この縦走路が石塚山への主要道として復活しているのは面白い。

とは言っても、現行の石塚山登山道でも登山地図から消し込みされてしまう程の玄人向きコースで、
初めて通って道に迷いかけた人は、ガイドを含め何人も見た。
(そういうワシも、数年ぶりに現行の石塚山登山道へ行ってみたところ、
入口の偽ピンクテープに誘導されて、隣の山の裏手に出た所で慌てて引き返した事がある。トホホ。)

※上記の地図の中央に「スイッチバック」と書いたが、ジグザグに曲がった登山道の事で、
別にトロッコ軌道があるわけでない。あしからず。
屋久島の登山道では鋭角に曲がるところはほとんど無いのだが、
こんな辺ぴな山の奥に突然、富士山や由布岳のような幾何学的ジグザグ道が現れたのに驚いてしまった。


登山道の入口付近


↑旧石塚山登山口:小杉谷集落跡の奥地、石塚集落跡を抜けたところにある。
屋久島大社の岳参り用の鳥居が登山口である。
安房から車で1時間弱かかる荒川登山口から
さらに山奥へ3時間歩かないとたどり着かない登山口なんてステキすぎる。


↑「石塚山登山口」標識:鹿児島大WF(ワンダーフォーゲル部)の作。
屋久島大社鳥居左後ろに茂みに備え付けられている。
20年そこそこ昔に付けられたと思うが、
表面を覆う苔が覆って読みづらくなっていた。



↑登山道の始まり:
登山口の鳥居をくぐってすぐの森の中はこんな感じ。
木が茂って暗めではあるが、道を隠す藪は無く、
このあたりはまだ過保護な位のピンクテープが貼ってある。



↑登山道の始めの方:登山口の鳥居をくぐって5分ちょっとで
24km沢を横断する最初の渡渉点に着くが、そこまでの道のりは
こんな明るめでピンクテープもいっぱいあって分かりやすい。
そこまでの道のりは・・・。



↑登山」道の始めの方:24km沢の1つ目の渡渉点。
地図上では大きな支流だが、雨が降っていなければ問題なく渡れる。
この後にも数回24km沢を横断するが、最上点以外は似たような感じ。



↑登山道の始めの方:24km沢の2つ目の渡渉点。 
蛇足感がすごくて、何のために置いてあるのか理解に苦しむ橋があるが、
こういう遺物を見かけるとちょっと嬉しい。



登山道の下域


↑岳参りの遺物?: 朽ち果てて柄だけになった雨傘。
本来はゴミなので眉をしかめるのだが、
こんな物が落ちていると、昔は傘を片手に登れた程
きつくない山なのか、期待してしまう。



↑トロッコ軌道跡を彷彿させる広い道:
まあ、さすがにここには軌道は敷かれていなかったと思う。 


↑ヤブ化する登山道:とりあえずヤブをかき分けると
道を見つける事ができるが慎重に進むべし。 


↑ヤブ化する登山道:倒木3連発。
馬乗りになったりくぐったりで、面倒な障害物競争。



登山道の中域



↑登山道の中頃で展望が開けていたところ:
旧石塚山登山道はほとんど森に覆われた中を進むが、
中盤にちょっと展望が開けた所があった。
展望と言っても、木立の上に隣の尾根が見える程度だが、
コケの石畳に日差しが当たってキレイ。


↑24km沢 最後の渡渉点:
このコースの24km沢渡渉点は、フラットな川底に並んだ岩を伝って歩く
楽勝ポイントだが、ここにきて対岸に背丈程ある岩が待ち構えている。
一番手っ取り早い渡り方は、このハシゴのようなボロ橋を通る事だが、
ご覧のように傾いており、バランス崩すと落ちるので
正座して進まねばならない。




↑岩屋っぽい巨岩帯: 登山道の傍らにあった岩のトンネル(左上)。
近くに測地用の杭が打たれてあったので、何かしらの目印になっているようだ。
岩屋として使うには傾斜が大きく、雨の直撃は凌げると思うが、
寝っころがっているうちにずり落ちていったり、雨水が流れ込んできたりで、
ここでビバークするとかなり辛そう。
さておき、写真右から続いていた登山道はこの先すぐ、まばらな木立の森に
かき消されており、ワシが正しい線引きが分からなかった唯一のポイントであるが、
この岩屋もどきのある急坂を登り、上で平行に走っている登山道に
レーン変更するのが正しい行き方だと思う。


↑登山道に並べられたコンクリートブロック:
道中で唯一残っていた「整備された登山道」の名残り?
 形が崩れて苔むしているところが年季を感じさせるが、
廃道後に行われた山頂の祠整備で、余り物を有効利用したのかもしれない。




登山道の上域



↑色あせた道しるべ: 目印テープ、やっと見つけた。
この登山道の上域は、40年近く放置されたと思われる道しるべしか
残っておらず、色は他にも白や黄もあるが大体こんな感じか
地面に落ちて埋もれかかっていた。
写真のものは状態がまだ良い方で、親指の爪ほど残ったものがほとんど。
まるで、声を出さないセミを探しに行っている気分。
 


↑幻の道標?:まさかのサプラーイズ!
落ち葉の間に白い板が見えたので、何の遺物だろうとひっくり返してびっくり。
昭和40年代の記録にあるけど今は滅びた「朱で書いた矢印の道標」ではないか。
当時のものにしては保存状態が良すぎるので、
平成に入って岳参りを行った際に再建されたものかもしれないが、
露出面が苔に覆われていたので、抗菌効果で奇跡的に腐敗を免れた1枚なのかも。
元通りの状態に埋め戻してみたが、翌年5月に再び訪れてみたら
いくら探しても見つからなかった。
豪雨に流されたのか、誰か回収したのか、ミステリー。


↑登山道ゴール直前の露岩帯:
旧石塚山登山道は荒れているものの、危険な個所は沢渡渉点の低い渡り橋ぐらいなのだが、
ゴール直前にちょっと緊張するポイントが待ち構えていた。
登山道が斜めに切れ込んだ大きな岩で、死にはしない高さだけど
足を滑らせると大けがすると思う。
現役の頃は手すりのロープが張られていたのじゃなかろうか。。


登山道の出口付近


↑旧石塚歩道の出口:道の内側から見上げたところ。
奥の岩壁の前を横切っているのが、現行の石塚登山道。


↑旧石塚登山道の出口:
出口の外、現行の石塚山登山道から見下ろしたところ。
目印に道標テープが3本巻かれているが、その奥には到底道に見えない
茂みがあるだけなので、ほとんどの登山者はまず気付かない。


↑旧石塚山登山道のゴール:
旧石塚登山道出口の右には、集落の一品宝珠大権現(ヒコホホデミノミコト)と
屋久島大社のイザナギノミコト・イザナミノミコトの祠が祀られた巨岩が待ち構えている。
石塚山山頂付近は見所が幾つかあるのだが、
複数の神社の奥宮であり、かなりの聖域として扱われているようであるため
ここでの詳しい話は伏す。


↑石塚山山頂 (荒川登山口から6時間15分):
山頂付近の登山道は、上段中段下段の3つに枝分かれしており、その一番上に登ると山頂に着く。
展望はバッチリで、安房川を隔てた向こう側に白谷雲水峡の太鼓岩も見える。



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