山容
↑黒味岳山頂から眺めた投石岳。
中央やや下の岩群が投石平で、そのすぐ左上に3つ並んだ岩の右端が投石岩屋。
投石平の右下に線状に見えるハゲ地帯が投石湿原。
ぐぬぬ、山頂の霧がじゃま。
↑安房岳山頂付近から眺めた投石岳。
中央縦に縦走路、右奥は黒味岳。
山頂
↑投石岳山頂。
有志が置いて行った山頂標があったけれど固定されておらず、
足元の絡みついた根っこに一応引っかけられてあった。そのうち台風で飛ばされるだろうなぁ。
正面に安房岳、安房岳山頂右肩にひょいと翁岳、左奥に宮之浦岳が見える。
↑投石岳山頂:このページトップの投石平ビューのズーム写真。
双眼鏡で眺めながら「あの岩の割れ目を足場にして登ろうか?
右に回り込もうか?」と登頂方法を模索していたけれど、
何のことは無い、この岩の向こうが天辺に続くスロープになっていた。
↑投石岳山頂:登頂直前にヤブの中から山頂大岩を見上げたところ。
投石平からみえる大岩がコレで、本当の山頂は左に隠れている。
↑投石岳山頂:上の写真の大岩をヤブの下から覗いてみたところ。
左端が山頂まで続くスロープ。
実はこの直前、行く手を阻む密集シャクナゲににっちもさっちも行かなくなっていた。
途方にくれてその場に座り込んだところ、シャクナゲの根本に
通路があるのを見つけて登頂成功。危ないところだった。
↑投石岳山頂:上記写真のスロープを登り切ったところ。
右側に黒味岳と投石平を見渡せる大岩がある。
↑投石岳山頂:上記写真のスロープを登り切って左側を眺めたところ。
低いヤブを通って気持ち程度登った先に、本当の山頂がある。
登り切った所の光景が上にある山頂標付きの写真。
↑山頂から南側の眺め:
上記写真の投石平のアップ。思い思いに休憩を楽しんでいる人たちが見える。
こっちに気付いて「ねえ、あの山の上に人がいるよ。どうやって登るんかな?」とか
話題にしてくれていたら嬉しい。、
↑山頂から北西側の眺め:
ヤクザサ、シャクナゲ、その他大勢のヤブ海原にどかーんと大岩が爽快。
右奥は宮之浦岳。そのやや左奥に永田岳。奥の山は宮之浦岳。右手前の山は安房岳。
中央やや左のポッチは「中島の頭」か?
↑山頂から東側の眺め:縦走路から見えない光景だ。
中央奥の山は石塚山。その山頂一帯のピークが露出した大岩なのが分かる。
石塚山右手前の尾根筋は花之江河登山道。
石塚山左奥にうっすら見える尾根筋、すぐ左が船行前岳、
その左の双璧が愛子岳、左端が椨川前岳。
↑山頂から南南東側の眺め:
太忠岳天柱石のミニチュア版みたいな岩がgood!
その奥に見えるくっきりした尾根筋は花之江河歩道。
中央右奥にみえる平べったい盛り上がりは鈴岳。中央左奥のピークは割石岳。
↑山腹から小楊子川源流を眺める:
上の写真の中央アップ。結構広い湿地帯があるようだ。
↑南側山腹から山頂を眺める:
シャクナゲ、アセビ、杉の群生と枯存木。山頂岩から手前には4m程のV字谷が走っており、
枯存木の根本もごくごく小さな沢の源流となっていた。
植物園みたいに見事なレイアウト。かき分けて登るのは大変だったけど。
↑安房岳との鞍部近くの遭難碑:
昭和31年3月16日、屋久島登山史上で初めて遭難死と記録された高倉敏雄氏(享年23歳)の慰霊碑。
5人チームの小杉谷集落から永田岳越え雪山ラッセル登山で、途中から暴風雨に見舞われる。
宮之浦岳と永田岳の鞍部(焼野?)で治まらない嵐に1日足止めされている内に
テント等の装備も壊れてしまい、夜明けとともに投石岩屋を目指して引き返すのが最善と判断。
しかし、高倉氏の疲弊ぶりは尋常ではなく、メンバーの励ましも虚しくここで疲労凍死と相成った。
翌年8月8日に遭難碑設立。
昭和期には花も手向けられていたが、今はもう知る人もほとんど訪れず、
登山者への教訓としてその姿を留めるのみ・・・。
投石平/投石岩屋
投石平 |
投石岩屋 |
投石湿原 |