投石岳(なげしだけ)


↑投石平から見上げた投石岳。
 
標高1830m。旧名、筑紫岳。
標高は屋久島第7位にして、ギリギリの九州第7位。
付近の山(宮之浦、永田、栗生、黒味)が魅力的すぎて、翁岳-安房岳-投石岳の三山が
単なる尾根筋扱いだった歴史なのかどうかよく分からないが、山岳信仰の対象からは外れている。

山岳信仰の対象では無いが、屋久島八重岳には含まれる。

元々無名峰だったが、初登頂した加藤数功氏により、昭和9年(11年?)「筑紫岳」と命名された。
しかしながら、この辺りの地名「投石」より島民から「投石岳」と呼ばれるようになり、昭和40年代にはこちらの名前が定着していた。
その名の通り、石を投げたように巨岩がボツボツ点在している地域で、麓には「投石平(投石岩)」「投石岩屋」「投石湿原」の名所もある。
「ナゲシ岳登ってきましたー」と報告したら、ほぼ100%「ナゲイシ岳登ってきたってー」と返答や口伝えされた。
皆さーん、この「投石」の読みは、
ナゲでは無くてナゲシですので、そこんとこよろしくお願いしまーす。

花之江河より投石岳の登山道の最高点まで1時間程。
山頂に続く道は無く、そこからヤブ漕いでみたら、上りはおそるおそる1時間半、下りは30分だった。
ヤクザサのヤブ漕ぎは大した事は無いが、シャクナゲとアセビの群落が半端ではなく、
特に山頂大岩を取り巻く斜面の密集地帯は鉄壁ガードで、南側から攻めたときは泣く泣く敗退した。
南西から攻めた時も、シャクナゲ群落の根元に不自然に倒れたヤクザサを見つけられなかったら危ういところだった。
3つ並んだ翁岳、安房岳、投石岳。遠目には同じようなヤブ具合だけど、山頂までのヤブ漕ぎ突破の大変さは
投石 >>> 翁 > 安房 という感じだったと思う。


山容


↑黒味岳山頂から眺めた投石岳。
中央やや下の岩群が投石平で、そのすぐ左上に3つ並んだ岩の右端が投石岩屋。
投石平の右下に線状に見えるハゲ地帯が投石湿原。
ぐぬぬ、山頂の霧がじゃま。



↑安房岳山頂付近から眺めた投石岳。
中央縦に縦走路、右奥は黒味岳。



山頂


↑投石岳山頂。
有志が置いて行った山頂標があったけれど固定されておらず、
足元の絡みついた根っこに一応引っかけられてあった。そのうち台風で飛ばされるだろうなぁ。
正面に安房岳、安房岳山頂右肩にひょいと翁岳、左奥に宮之浦岳が見える。


↑投石岳山頂:このページトップの投石平ビューのズーム写真。
双眼鏡で眺めながら「あの岩の割れ目を足場にして登ろうか?
右に回り込もうか?」と登頂方法を模索していたけれど、
何のことは無い、この岩の向こうが天辺に続くスロープになっていた。



↑投石岳山頂:登頂直前にヤブの中から山頂大岩を見上げたところ。
投石平からみえる大岩がコレで、本当の山頂は左に隠れている。



↑投石岳山頂:上の写真の大岩をヤブの下から覗いてみたところ。
左端が山頂まで続くスロープ。
実はこの直前、行く手を阻む密集シャクナゲににっちもさっちも行かなくなっていた。
途方にくれてその場に座り込んだところ、シャクナゲの根本に
通路があるのを見つけて登頂成功。危ないところだった。



↑投石岳山頂:上記写真のスロープを登り切ったところ。
右側に黒味岳と投石平を見渡せる大岩がある。



↑投石岳山頂:上記写真のスロープを登り切って左側を眺めたところ。
低いヤブを通って気持ち程度登った先に、本当の山頂がある。
登り切った所の光景が上にある山頂標付きの写真。



山頂からの眺め

↑山頂から南側の眺め:
正面にババーンと黒味岳。中央下に投石平も見える。
黒味岳左肩にはウミガメ岩も。

 


↑山頂から南側の眺め:
上記写真の投石平のアップ。思い思いに休憩を楽しんでいる人たちが見える。
こっちに気付いて「ねえ、あの山の上に人がいるよ。どうやって登るんかな?」とか
話題にしてくれていたら嬉しい。、


↑山頂から北西側の眺め:
ヤクザサ、シャクナゲ、その他大勢のヤブ海原にどかーんと大岩が爽快。
右奥は宮之浦岳。そのやや左奥に永田岳。奥の山は宮之浦岳。右手前の山は安房岳。
中央やや左のポッチは「中島の頭」か?



↑山頂から東側の眺め:縦走路から見えない光景だ。
中央奥の山は石塚山。その山頂一帯のピークが露出した大岩なのが分かる。
石塚山右手前の尾根筋は花之江河登山道。
石塚山左奥にうっすら見える尾根筋、すぐ左が船行前岳、
その左の双璧が愛子岳、左端が椨川前岳。



↑山頂から南南東側の眺め:
太忠岳天柱石のミニチュア版みたいな岩がgood!
その奥に見えるくっきりした尾根筋は花之江河歩道。
中央右奥にみえる平べったい盛り上がりは鈴岳。中央左奥のピークは割石岳。



山腹からの眺め

↑山腹から南西側の眺め:
ヤブコギルートを振り返る。色んな緑色のデコレーションが楽しい。
一見フラットなヤブに見えるが、手前のヤクザサ帯はふくらはぎ位の深さのヤブで、
そのちょっと奥の灌木帯はストンと落ちて沢も流れる深さ3〜4m位の密林になっていた。


 

↑山腹から北側の眺め:
ヤブコギルートを振り返る。こちら側には、開けて幅の広い獣道あり、
猿が休憩していた大岩あり、ランチ休憩には良さそうな快適空間があった。
ただしこの上のシャクナゲ帯が突破できず敗退したけれど・・・
奥に見える山は安房岳。

 

山腹から北西側の眺め:
ときどき現れるシャクナゲ帯の突破が厄介。
右奥に見下ろす筋は、宮之浦岳に続く登山道。
その登山道から左に向かう事、画面中央に小楊子川の源流が見えた。


 


↑山腹から小楊子川源流を眺める:
上の写真の中央アップ。結構広い湿地帯があるようだ。



↑南側山腹から山頂を眺める:
シャクナゲ、アセビ、杉の群生と枯存木。山頂岩から手前には4m程のV字谷が走っており、
枯存木の根本もごくごく小さな沢の源流となっていた。
植物園みたいに見事なレイアウト。かき分けて登るのは大変だったけど。



↑安房岳との鞍部近くの遭難碑:
昭和31年3月16日、屋久島登山史上で初めて遭難死と記録された高倉敏雄氏(享年23歳)の慰霊碑。
5人チームの小杉谷集落から永田岳越え雪山ラッセル登山で、途中から暴風雨に見舞われる。
宮之浦岳と永田岳の鞍部(焼野?)で治まらない嵐に1日足止めされている内に
テント等の装備も壊れてしまい、夜明けとともに投石岩屋を目指して引き返すのが最善と判断。
しかし、高倉氏の疲弊ぶりは尋常ではなく、メンバーの励ましも虚しくここで疲労凍死と相成った。
翌年8月8日に遭難碑設立。
昭和期には花も手向けられていたが、今はもう知る人もほとんど訪れず、
登山者への教訓としてその姿を留めるのみ・・・。


登山口・・・はありません

↑投石岳西側からのアタック箇所:登頂するには
少しでも歩きやすそうなポイントを決めてヤブを漕ぐべし漕ぐべし.
山頂付近のシャクナゲ密集地はかなりの強敵。


投石平/投石岩屋


↑黒味岳山頂から眺めた投石平、投石岩屋:
写真右手前の巨岩露出帯が投石平。
写真中央の巨岩は投石岩屋(赤いレインコートが見える)。
登山道はここより逆S字を描きながら上へ続いているのが分かる。
(写真上部やや右にも、レインコートの群れが見える。)

下のちっこい写真をクリックして下さい。

投石平
投石岩屋
投石湿原

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