尾之間歩道(おのあいだほどう)下側


↑尾之間歩道(鈴川支流渡渉点の手前):
乃木岳より下は大体こんな感じ。
うっそうと茂った森の坂道を、いくつもの沢を渡って進む。

標高80mの尾之間温泉から標高1600mの花之江河までを結ぶ登山道。
ヤクスギランド線から淀川登山口乗り付けが今は当たり前になってしまってあまり意識されていないが、
淀川登山口から花之江河への登山道はこれの残り1/5の部分である。
淀川登山口から下へは、かつては高平やランド線へ続いていた乃木尾根をたどり、
直角に向きを変えて鯛之川など何回も大きな沢を横切り、乗越(のりこし)という峠を越え、。
大きな沢を横断が無くなったころ蛇ノ口ハイキングコースという軽い名前の登山道に入り、尾之間温泉で終点となる。
このページでは今の宮之浦登山コースを外した、淀川登山口から下について触れるとする。

今では徒歩40分で行けてしまう淀川小屋も、1970年以前は8時間かけないとたどり着けない山奥に
ひっそり佇んでいたというのを想像してみるとロマンだなぁと思う。
改装前は石塚小屋と同じようなブロック積みだったので、ちょっと怖かったかもしれないけど。



淀川登山口

↑淀川登山口:トイレ向かって左の茂みに尾之間歩道下り側の入口がある。


↑尾之間歩道、下り側入口:
普段は誰も行かないところ。覗き込みだけでちょっとした怖さとワクワク感。


↑尾之間歩道、下り側入口:入ってすぐの眺め。
ちょくちょく利用している人はいるようで
廃道感は全然無いが、道に露出している木の根が
ウロコのような厚い皮で覆われているのを見て、
紙ヤスリで磨いたようなツルツルの木の根が当たり前だった
反対側の宮之浦登山コースがいかに歩行者が多いのか気付かされた。
なお、入口から10分くらいで尾之間大杉に会えるそうだが、本道脇には居ないのでちょっと分からない。


乃木尾根(のんきおね)


↑乃木岳近くの乃木尾根:
尾根伝いの部分は、さほど木が茂っていなくて明るい森歩きができる。


↑落ちた道標:尾之間歩道は利用者が少ないとはいえ、
それほど荒れてはいなく分かりやすかったが、
手入れはあまりされなくなったようで、道標は落ちて割れたままになっていたり、
苔むして読みにくくなっているものが多かった。


↑台風爪痕:下り方面に進むと乃木岳を過ぎたあたりから
平成6年(1994年)台風6号によって根こそぎ倒されて開けた森の跡に出くわす。
大岩の上で成長していたため剥がされてしまった屋久杉もちらほら。



↑まるでバオバブ:乃木尾根はかなり強風が吹くようで、
茂みから頭を出した樹木は「出る杭は打たれる」状態であちこち立ち枯れしていた。
そんな中、主幹を折られながら頑張っているバオバブの木のような杉もいた。


渡渉点の数々


↑上から1つめの渡渉点:乃木尾根から20分。鯛之川(たいのこ)の支流の源流近く。
かつての淀川小屋へ向かう主登山道だけあって、立派な増水警告板が両岸に残っている。



↑上から2つめの渡渉点:1つめから20分。鯛之川左岸の支流。
乃木尾根からは同じ支流をジグザグに跨ぐ谷沿いルートとなっているため、
本流に出会うまで現れる沢は全部おなじ奴。



↑上から3つめの渡渉点:2つめから3分。
ここはでかい岩がごろんごろん積みあがって荒々しい光景。
上流側は岩樋を流れる滝状の沢であった。


↑上から4つめの渡渉点:3つめから9分。そろそろ「鯛之川渡し」って通ったっけ?
と思い始めてあんまり印象に残っていない(笑)。
まあ、上から2つめの渡渉点と似た感じ?


↑上から5つめの渡渉点「鯛之川渡し」:4つめから4分。右岸の登山道から眺める。
本ルートの難関地点の鯛之川本流出合。大雨の時は渡れない。
忘れた頃に満を期して登場だが、左の木に「ここは鯛之川渡し」と標識が付いている。


↑「鯛之川渡し」に降りてみた:上の写真の「鯛之川渡し」標識向こうの大岩辺り。
この時は屋久島では異常な日照り続きの時期だったので、
降雨時は無論、通常でも渡るには岩飛び技術が必要ではなかろうか。


↑鯛之川渡し上流側の風景:幅色い淵が岸方向(上り道側)を眺める。
うっそうとした森の中を歩いていて、こんな大沢が出てくるとちょっとビビる。


↑鯛之川渡し下流側の風景:上流側よりでかい岩が並んで向こうの視界を遮っている。


↑鯛之川渡しを渡り切ったところ:左岸の登山道から振り返る。
茂みの向こうを下ったところが鯛之川本流。
左の茂みに増水警告板が、右の道しるべの足元に
「ここは鯛之川渡し」案内板(落ちて転がっている)。


↑上から6つめの渡渉点:5つめから35分。今度は鯛之川左岸の支流。
1997年刊『フルカラー特選ガイド 屋久島を歩く』(吉川満著、山と渓谷社)では、
苔むした3本丸太の橋が架かっていたが、この時はもう土台しか残っていなかった。
「乗越」まであと5分に差し掛かった源流辺りで、橋が無くても全く支障は無かったけど。


↑上から7つめの渡渉点:6つめから1時間。
「乗越」を越えた反対側で、今度は鈴川右俣。
(実は、ここの30分前にも鈴川右俣の源流を渡るけど、
規模が小さいので渡渉点にカウントしていない。)


↑上から8つめの渡渉点:7つめから30分。上と同じ鈴川右俣の沢渡り。
くどかった渡渉も尾之間歩道ではこれにて終了。



乗越(のりこし)


↑乗越:標高1230m。鈴岳と割石岳を結ぶ尾根筋の鞍部を横切る峠道。
登山道南側から眺めた後継で、中央の窪んだところが、それ。
「乗り越し」を南側に下ると鈴川右俣の源流が、北側に下ると鯛之川支流の源流が現れる。



↑乗越:北側から乗り込んだところの眺め。
左側の尾根沿いに割石岳を経てモッチョム岳へ向かうルートがあるそうだが、
百戦錬磨のヤブこぎマスターでもわけわからん状態になっているらしい。
ひょいひょいと眺めてみたが、道らしい形跡は全く見当たらなかった。



↑乗越:南側から乗り込んだところの眺め。
「ここは のりこし」と書かれたプレートが、真ん中から割れたまま
十年以上放置されたままになっていた。



↑乗越付近の木立からの眺め:奥に見えるのは鈴岳。
尾之間歩道は深い森の中を延々歩き、
展望が効くポイントが非常に少なく、これは貴重な遠望風景。。


蛇ノ口滝ハイキングコース



↑蛇ノ口滝は
こちら

↑蛇ノ口滝分岐:尾之間歩道を下ってきて、
蛇ノ口ハイキングコースのエリアに合流したところの眺め。東屋がステキ。
手前が尾之間歩道上り(淀川小屋まで9km)、右奥が蛇ノ口滝(滝まで0.5km)、左が尾之間温泉方面(登山口まで3.5km)。
ここに降りてくるまでの過程で、蛇ノ口滝の上部100mスラブが木立の隙間から見えたそうだが、
2000年代に入って木が成長しすぎたのか、そんなものは全く分からなかった。ぐっすし。


↑炭焼き窯跡: 蛇ノ口ハイイングコースの奥側には
麓に住んでいた人が木炭を製造していた石積みの窯跡が点在している。
藪化していて分かり辛くなっているけど、円形に組まれた窯跡を真横から見たところ。
中央に切れているのが出入口。


↑畑跡:登山口まであと徒歩10分くらいになると、花壇のような仕切り石が現れる。
長かった尾之間歩道下りももうすぐゴール。



↑尾之間歩道下部末端の様相:涼しかった空気がむわっとしてきたと思うと、
辺りの植生はがらっと変わってヤシ類やでっかいシダ類がわんさといる密林になる。
蚊とかもぶんぶんまとわりついてウザったいのでタオルをヌンチャクのように振り回して進んだ。
田口ランディ女史のエッセイでは、「蛇ノ口滝ハイキングコース」イメージとほど遠い
ジャングルに恐怖を感じて引き返していた程。
でも、足元には畑の仕切り石が多く見られるので、かつてはパッカーンと開けた場所だったのだろう。


↑尾之間歩道入口:尾之間温泉の駐車場脇にある。
下り道に使うと、下山後0分で島内屈指の温泉に着くという最高のロケーション。



おまけ:登山道で見かけたヘンな物


↑傘の忘れ物:鯛之川渡しから200m上部の
登山道にあったそんなに古くない傘。
片道7時間以上かかる玄人向けのコースの途中なので
こんなもの片手に登山する人いたのかと目を疑った。


↑一跨ぎの丸太橋:「側溝の蓋か?」と突っ込みたくなるような
過保護な丸太橋が残っていた。
上記に説明してあるが、90年代終わりには幅3m程度の小さな川にも
苔むした三本丸太橋が架かっていた事があったので、
かつては渡渉点のほとんどに橋がかかっていたのかもしれない。


↑自然のいたずら:薄暗い森を黙々と歩いて人恋しくなってきた頃、
進路の先に見えてきたニコチャンマークのような絵。
何の案内板かいなとわくわくしながら近付いて見ると、ご覧の通り虫食い跡だった。
2009年6月に某人気ブログに投稿したら、翌年発売の屋久島ムック本を目鼻口を加工した葉っぱが中扉を飾り、
その後ミーハー観光客に顔加工葉っぱが長いこと流行してしまったのはワシのせい、と思うのは自意識過剰か?
それにしても真似して顔加工しようとする方々、2007年の鳥取砂丘落書き大事件みたいな
自然に手を加えての、本人満足でも他人には不愉快な行為をするのは勘弁して下さいね。


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