石塚集落跡(下域)
〔石塚集落跡〕




↑石塚集落跡:
トロッコ道にある廃屋で一際目立った建造物。
住宅地図で確認したところ、どうやら造林寮の跡らしい。
林業作業者の洗い場だったのか、壁からせり出したパイプが目を引く。

『廃村をゆく』
(イカロス出版・2011年5月発売)

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見開き2頁とあとがきだけですか、
当HPの小杉谷&
石塚集落コーナーを
基にした記事が載っています。
当HPの石塚集落跡の写真は
その後全面更新しましたので、
記念に旧バージョンを
こちら
に保存しました。

標高800m。縄文杉コースへ曲がらず、小杉谷集落分岐から徒歩1時間。昭和45年(1970年)8月に廃村。
小杉谷集落の弟分。かつては営林署物資部や公民館もあった。
廃村後も、旧安房歩道の途中ということで、花之江河へ向かう登山者が通っていたが、
淀川登山口がメジャーになってから、ほとんど人が訪れなくなった。
(小杉谷集落分れから入ったとたん、足元が苔や藻類で滑りまくって何度もコケそうになった。いや、シャレじゃないって。)
縄文杉コースに慣れていると、高架橋に歩行者用の渡し板があるのが当たり前と思うが、
この道にはそれが無いので、頼りになるのは滑りやすい枕木だけ。
こけてしまうと無事で済まないので、冷や汗モノだ。
最後にはレールを掴んで、這いつくばって進まざるを得んかった。二度目は簡易スパイク付けて攻略。
かつての集落の子供達は、この道を歩いて毎日小杉谷の学校に通っていたという。
いやはや脱帽。

廃村後は学術関連の人がまれに入る程度の秘境になったと思っていたら、
土埋木採掘事業の基地として利用が続いており、
時々営林署の作業者が入山しては取り残された杉材のヘリ搬出作業を頑張ってやっていたそうな。
その土埋木事業も2016年に終了となり、本格的なヤブ化が始まった。

※ここに載せている写真は廃村から42年後
(2012年頭)、そして53年後(2022年年末)の姿となる。


住居跡


↑石塚集落跡:トロッコ道から外れにある住居跡。煙突状のものが点在している。
'02年散策時には高床式の建物があったのかと思っていたが、
後に詳しく調べてみると、屋外に小屋掛けで建てていた五右衛門風呂などと判明。
なお、石塚と小杉谷の集落では、
ガスコンロや電気コンロが主流で一般家庭にカマドは殆ど無かったらしい。


↑五右衛門風呂:左の穴の奥に釜底が見える。
釜の周りはレンガ、洗い場の周りはコンクリートブロックで囲われており、
この上に木材で覆いを建てていたようだ。浴槽の直径は80cm程度。
左奥に金属製の洗面器が転がっている。


↑謎の遺構: 五右衛門風呂と一緒にあった謎の煙突状建造物 (2つ上の写真参照)。
枠の中には太めの金属管が地中から生えていたが、薪をくべるような穴がどこにも無い。
洗い場だったのかな。


↑石塚集落跡:トロッコ軌道を上って最後に見えた住居跡。
一般家屋は風呂と石垣だけしか残っていない。
家の本体の痕跡が何故無いのかというと、
家の土台が、柱の下のポイントに礎石を置くだけの簡単な方法で作られたものであり、
廃村の際に資材は全てばらして引越し先で再利用され、
唯一残されたかもしれない礎石もやがてコケや落ち葉に埋もれてしまったからだろう。


↑石塚集落跡の屋久杉切り株:集落の中心にあったでかい切り株。
中はじめじめしているが雨宿りも出来る。
右手前にあるのは五右衛門風呂跡。


↑造林寮の跡? (荒川登山口から1時間40分前後):
トロッコ道のすぐ脇にある。
長い年月を経て、建物跡は森に変わりつつある。


↑造林寮?の建物跡の一部:どうやら寮の風呂桶らしい。
今ではオタマジャクシの棲み家。


↑住居前のトロッコレール: 車両が通らなくなって久しいようだ。
サンゴのように盛り上がったオオミズゴケがレールを飲み込もうとしていた。


↑トロッコ車両基地跡:
十年前に訪問したときは、右側に枕木だけが整然との並んでいたが、
今は僅かな名残だけ。



↑造林寮のメインストリート (荒川登山口から1時間40分):
トップの写真の別アングル。
特徴的なコンクリート遺構と、苔に飲み込まれかけている線路がファンタスティック。

11年後

↑造林寮のメインストリート (荒川登山口から1時間40分):
2016年に土埋本の事業が終了して6年、上の写真の居住区や切り株は
特に変わり無かったが、造林寮前のメインストリートは杉葉で
線路が覆いつくされている上、ツル植物がわしゃわしゃ茂り始めていた。
今更、何で?。増えすぎていた鹿がここ数年で減っていると調査結果もあり、
植物が勢いを取り戻したのか、という意見も。



土埋木の作業場



↑ヘリポート (荒川登山口から1時間50分):
H型の目印が無いので定かでないが、多分これがヘリポ。
土俵のような感じに砂利が丸く敷かれている。
昔に話を聞いた時は、軌道終点に上記のトロッコ車両基地跡のような
ちょっと森が開けたところがあって、集落住民の緊急事態に対応していたのだろうなー、と
勝手に想像していたが、土埋木搬出が目的でこんな荒地だと知ってちょっと興醒め。

11年後

↑ヘリポート (荒川登山口から1時間50分):
2016年に土埋本の事業が終了して6年、
かつての住居跡を切り開いたヘリポートには杉の木が茂りはじめ、
森に帰ろうとしていた。



↑トロッコ軌道上方から眺めた土場: 奥の灰色の裸地がヘリポート。
手前の緑地には低く張ったロープで陣取りが行われ、その片隅に赤い消火器入れが置かれている。
ヘリの燃料置き場だったようだ。
土場兼ヘリポートになる以前はこの辺り一帯も集落住民の家が固まっていたところで、
五右衛門風呂跡や洗剤の容器などが残されていた。

11年後

↑軌道下側から眺めたヘリポート&土場横のトロッコ軌道。
2016年の土埋木の事業が終了して6年、ここの変化が一番凄まじかった。
左の写真でヘリポート手前にある更地は足元の線路が見えないほど完全にヤブ化している。
もう十年も経ってしまえば、ここがトロッコで屋久杉を持ってきて
ヘリで釣り上げていた作業場だったなんて推測できる人は殆どいなくなるだろう。



↑土埋木加工作業場(荒川登山口から1時間55分):ヘリポートから軌道を5分程上ったところにある荒地。
うっそうとした森の中、突然パカーンと開けた場所に出くわした。
ここで土埋木を加工して、すぐ下のヘリポートまでトロッコで運んでいたのだろう。
右の雨避けの下には山積みのワイヤーが、右の茂みの陰には大きなウインチが置かれてあった。それにしても荒れてる。
(と思ったら、土埋木事業はこの時まだ継続中であった)。



↑ワイヤー置き場 (荒川登山口から1時間55分):
上のパノラマ写真の右側のガレージみたいな建造物。
周りは荒れているし、山積みのワイヤーは錆びたものばかりだったので
遺物かと思っていたら、どうやら現役だったらしい。

10年後

↑ワイヤー置き場跡 (荒川登山口から1時間55分):
2016年に土埋本の事業が終了して6年、
本当に取り残されたらしく、支柱がなくなってぺしゃんこになっていた。
(立派な丸太だったので、これだけ解体して持って行った?)。



↑集材所近くの住居跡 (荒川登山口から2時間): ヘリポートから軌道上に徒歩10分。
写真中央の物体が初め砲台に見えて「こんな山奥に戦場跡が?」と思ったが、
五右衛門風呂の釜がひっくり返ったもの。
中央奥にプロパンガスタンク、左手前にチェーンソーの刃が転がっている。

11年後

↑集材所近くの住居跡 (荒川登山口から2時間): ヘリポートから軌道上に徒歩10分。
2016年に土埋本の事業が終了して6年。
ここは特に変わっていない筈だけれど、五右衛門風呂が本来の向きに返れされいる。
持ち帰り再利用目的で商品チェックされていた?



↑軌道集材車(荒川登山口から2時間): ヘリポートから軌道上に徒歩12分。
置き去りにされボディーは朽ち果ててしまったのか、
ラジエーターとエンジンとウインチが展示品のように線路脇に並んでいた。

11年後

↑軌道集材車(荒川登山口から2時間): ヘリポートから軌道上に徒歩12分。
もともと頑強な部分しか残っていなかったのか、
11年経ってもあまり変わっていなくてちょっと安心した。




↑土埋木置き場? (荒川登山口から2時間10分): ヘリポートから軌道上に徒歩20分。
うっそうとした森の中、急カーブに差し掛かるところで再びパカーンと開けた場所に出くわした。
カーブの内側が再び裸地となっており、
長径が人の身長程ある輪切り材が無造作に転がっていた。

11年後

↑土埋木置き場? (荒川登山口から2時間10分): ヘリポートから軌道上に徒歩20分。
2016年に土埋本の事業が終了して6年、
土埋木の宝の山は森に覆いつくされようとしていた。


石塚沢の徒渉点



↑石塚沢の出合い (荒川登山口から2時間20分): 
沢横のトロッコ軌道を歩いていたら、対岸をなぞるようにレールが落ちているのが見えた。
何だろう、と思っていたらこんな場所に行き着いた。
橋は見る影も無く流され、分断されて捻じ曲がるレール。

11年後

↑石塚沢の出合い (荒川登山口から2時間20分): 
捻じ曲がったレール自体は思ったほど代り映えしなかったが、
切り落ちた先の斜面の草木がぼうぼう伸びて
川底と対岸が見えなくなっていた。




↑石塚沢徒渉点: ちょっと削っただけの大木が中央に鎮座し、
階段と梯子状の渡しを付けたワイルドな歩行橋。
真ん中の大木で滑り落ちて怪我をした人も居て、渡るのには細心の注意をはらう。
一番奥の梯子状の橋は傾斜と劣化が酷くて使えないが、左に降りて飛び石伝いで渡れる。

11年後

↑石塚沢徒渉点: 
丸太橋両脇の階段&梯子渡しコンビは流失して無くなっており
メインの丸太橋自体も芯はしっかりしているものの
表面の腐れが気になるコンディションになっていた。
細心の注意を払えば上を渡る事はできるが、
川の水位が低ければ橋の横の大石の上を歩いた方が楽だった。。




↑石塚沢徒渉点の壁: この写真では茂みで隠れているけど、
石塚沢の左岸には大きな崖崩れ跡があり、
崖の上の森に違和感を感じて目を凝らしてみると・・・(下の写真に続く)。

11年後

↑石塚沢徒渉点の壁: 
左の11年前写真は、更なる崩落から間もない時期だったのだろうか。
むき出しの岩盤の色も黒ずんで結構樹木に覆われてきた。



↑石塚沢徒渉点の壁アップ: (上の写真の続き)
あっ、あんなところまで宙ぶらりんのレールが!
ビッグサンダー・マウンテン(TDLのジェットコースター)のよう。

11年後

↑石塚沢徒渉点の壁アップ: (上の写真の続き)
灌木で隠されてきたが、むき出しのレールはまだ見る事ができる。


ビッグサンダー・マウンテン(仮)


↑ビッグサンダー・マウンテン(仮) (荒川登山口から3時間20分):
石塚沢徒渉点の左岸絶壁に見えるむき出しの線路が気になって試しに行ってみた。
石塚沢徒渉点から屋久島大社鳥居分岐まで30分、そこから廃道の廃道方向へ進む事30分。
下から眺めながら思ったより随分に遠いな。
ちょっと気を付ければトラバース出来ないことも無いけれど、絶壁の宙を舞う線路出てきた。
かつて石塚集落で活躍されていた方から何らか名付けされていたとは思うけれど、
見たまんまそっくりなので、勝手にビッグサンダー・マウンテンと呼ばせて頂いた。


↑ビッグサンダー・マウンテン(仮) 空中回廊の始まり: こんな感じでストンと切れ込んでいる。
まだこの辺りなら傾斜もゆるく線路の下に降りて歩く事ができそうだが、灌木が少なかった
十年前はもっとド迫力の断崖が観察できたはずで、あの時立ち寄れば良かったと思う。:


↑ビッグサンダー・マウンテン(仮) : 灌木の中を漂うトロッコ線路。
下の地面の傾斜はあるし、単独行動だったので観察会はここまで。


ビッグサンダー・マウンテン(仮)から恐る恐る下を眺めてみる:
石塚沢の丸太橋が見えるのがお分かりだろうか。
暮らしの手帳社・植村悠太朗著 『些事加減』 冷汗三斗 では、
1967年夏の22時ごろライト無しで石塚集落近くを下山通過していたら目の前の空気に異変を感じ、
試しに石を投げてみたら落ちた音もせず、すぐ先の足元に手を伸ばしたら空を切るような
トロッコ道の切れ目に出て危うく惨事になるところだった旨の体験記がある。
右手に土手があって左に石を投げてみたとか左右反転している違いはあるが、
1960年代の登山地図と照らし合わせてみても石を投げて反響が無い様なロケーションは他に無い事から、
それはこのビッグサンダー・マウンテン(仮)で間違い無いと思う。


置き去りのトロッコ


↑幹線を塞ぐ形で眠るトロッコ (荒川登山口から2時間30分):
石塚沢徒渉点のすぐ上で眠っている。 
終点でもないのに、支線も作らずガレージ付きで泊まっているのが面白い。
40年以上の間ずっと、この路線は彼一人の物だったのだろう。

11年後

↑幹線を塞ぐ形で眠るトロッコ (荒川登山口から2時間30分):
取り残された彼を守っていたガレージも支柱から外れて圧し掛かっていた。
遠目ではまだ牽引車の顔を保っているが、近目に塗装部分はかなり減って
左側のガラスは外れ落ちており、右側のガラスが落ちるのも時間の問題か。



↑下り側から見たトロッコ: トロ箱を牽引したまま眠っている。
それにしてもガレージだけ傷みが少ないのだが、まだ時々メンテナンスしているのだろうか。

11年後

↑下り側から見たトロッコ: 小杉谷側から登って来ると、かつての面影もない
この姿で出迎えるものだからびっくるした。まるで砂利を下ろしているトラックのよう。



↑朽ちてゆくトコッコ: 床は薄氷の様で、後部席の方は燃料タンクが完全に露出している。
このトロッコは捨ててあるのでなく所有者名義は残ったままだそうだが、
前後の線路も崩壊しており、このまま二度と目覚める事なく消えて行くのだろうなぁ。

11年後

↑朽ちてゆくトコッコ: 覆いかぶさるガレージ屋根が雨の直撃を
防いでいるお陰で進行は遅らせてくれているものの
天井・床を含め薄い鉄板部分は崩れ落ちて、ほとんど骨組みだけになろうとしていた。



オマケ:石塚集落跡への途中道



↑安房川水系安房川 小杉谷測水所 (荒川登山口から50分):
無人のトロッコ道に突然現れる巨大な施設。

水量を測るのか、水質を監視しているのか?

11年後

↑安房川水系安房川 小杉谷測水所 (荒川登山口から50分):
下流の発電所絡みの施設だと思うのだけれど、長いこと放置されていたようで
扉は外れたままだったり門の鍵がゴニョニョったり荒れていた。良いのか、コレ?




↑荷物受渡し用リフト (荒川登山口から1時間): 木材の受け渡し用らしい。
中央奥が巻き揚げ機で、左手前の荷吊り器を操る。
画面左へ延びているロープは、安房川を挟んで楠川分かれ辺りと繋がっている。

11年後

↑荷物受渡し用リフト (荒川登山口から1時間): 
中央奥の巻き揚げ機は保護カバーも無くなって老朽化が進んでいたが、
画面左へ延びているロープは新調されていたようだ。まだ現役かな。




↑石塚集落への高架橋: 一部が木立の茂みに隠れているが、結構な高さがある。
渡し板が殆ど敷いておらず、あったとしても腐ったのばかり。
藻類でヌルヌルした枕木を頼りに渡るのは冷や汗モノ。
しかしながら、こうして見ると丸太を組んだだけの骨組みである事が解り、
長年経ってもしっかり健在なのに驚く。

11年後

↑石塚集落への高架橋: 
コース途中の何か所は土砂崩れの分断箇所は増えていたものの、
ありがたいことに高架橋の劣化は対して進んでいなかった。
ヌルヌルは相変わらず。


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